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チャーチオルガンスタッフブログ

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志村拓生先生インタビュー①

日本におけるキリスト教音楽界の重鎮でいらっしゃる志村拓生先生は、以前からヨハネスオルガンを愛用されていらっしゃいます。本日は、河合楽器製作所・東京オフィスで古典楽器を担当している西岡誠一(オルガンビルダー、オルガニスト)がお話を伺います。インタビューでは、たくさんの貴重なお話を頂きました。このブログで6回に分けてお届けします。



―本日は、私の恩師である志村先生にインタビュー出来ることになり、大変嬉しく、そして光栄に思っております。オルガンのこと、出版された楽譜のこと等々、いろいろとお聞かせください。どうぞよろしくお願いいたします。先ずは、先生とカワイオルガンの出会いから。

日本が経済成長であった70年代後半から80年代までの間、日本中がお金持ちになり、市や町が自分のところにホールを作り、オルガンを入れ始めました。この時、おびただしい数のオルガンが、教会だけではなく、演奏会場にも設置され、同時に、多くのオルガニストが育った時代でもあります。

その時に、私もお世話になったのですが、手ごろな価格でペダル(足鍵盤)付きのオルガンが手に入るようになった。当時、カワイが自社製のペダル付きオルガンを作り、オルガンを志す人が、それで練習することにより、オルガニストとしての技術が圧倒的に進み、音楽学校でもオルガンを学ぶ学生が増えた時代になったわけです。

この時、カワイのオルガンは非常に有効に働いたわけで、見かけではなく、ストップは少なくとも、一通り何でも弾けるオルガンとして出来ており、この事が、今のカワイのオルガンに対する前哨戦になった気がします。その後、他の楽器会社も含め、自分たちで作るよりも、特色のあるオルガンを輸入するほうが良いという考えになったと類推します。各社それぞれ違ったオルガンを選び、カワイはオランダのヨハネスになり、各社競合になったことは面白い傾向だったと思います。

―ヨハネスがあるオランダのオルガン事情についてお聞かせください

オランダはある意味でオルガンの国です。17世紀のスウェーリンクから始まり、その許にオルガンを学ぶために、オルガニストが集まる。そこで、スウェーリンクは「オルガン造りではなく、オルガニスト造り」と呼ばれました。当時、アムステルダムでは貿易が栄え、先ほど話した日本の場合と似て、経済成長の象徴として、立派なオルガンを、教会に設置しました。

ところが面白いことに、オランダは、宗教的に、スイスの改革派の伝統が入り、その改革派はカルヴァンの伝統によって、礼拝で賛美歌を、楽器を使って歌ってはいけないという規則があった。だから、スウェーリンクは礼拝の前にオルガンを演奏し、礼拝が始まるとオルガンの蓋を閉め、礼拝が終わると蓋を開けて、また演奏を始める(笑)。つまり、礼拝中、オルガンは弾かれず、礼拝前後で弾く。そのために、オルガン曲がたくさん作られるようになった。このあたりから、まさに、オルガン演奏会という形が始まったわけですね。

(続く)

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